介護保険制度を中心とする行政情報、各地の市民活動団体の活動などを紹介しながら、みなさんとともに「市民福祉」を考えていくサイトです。

9.被災地グループホームまるごと受け入れ作戦・その8

[東日本大震災特別編]

 

石巻市の被災地から、
 津波にさらわれて根こそぎ折れた桜の木から10数センチほど枝を折りとって持ち帰った。
 帰宅して小さな一輪挿しに挿しておいたら、日増しにつぼみが膨らんできた。
 ちょうど1週間後の5月1日の朝、白い花が一輪ほころんでいた。
 健気だね、頑張ったんだね、と声をかけた。
 次の日にまた一輪、それから一輪と花が開いた。

 

桜の花は開いたが、
 すさまじい惨状に打ちのめされて、何をどう報告したらよいのか、2週間過ぎた今も書きあぐねている。
 少し時間を置くしかないのだろう。
 だから、今回は本筋の「介護給付費分科会の不思議」について報告したい。

 

4月27日に給付費分科会が開かれた。
 石巻ショックからさめないからだを引きずって出かけた席で聞いたのは、前回に引き続きこの国の分岐点になるような大震災から本質的な議論を引き出そうという姿勢から遠い、些末なやりとりだった。
 今回もまたビックリさせていただいたのは、いつも眠気覚ましの発言をして下さる池田省三・龍谷大学教授。「被災地で互助共助自助がみごとに働きだしている点を学ぶべき」って??
 トータル3日ほどの現地体験では何も言えないけれど、まだまだ混乱の中にある被災地をこんな簡単なことばでくくってすむ状況には見えなかった。

 

石巻では、
 足りないと思われる物資を青空市でそれぞれもちかえってもらったり、それが出来ない地域では戸別配布もした。
 青空市では、ゴッソリさらっていく人もいれば、「ほかの人も必要だからね」と我が子に諭して少しだけ持っていく若いお母さんもいた。
 いろんな人がいる。
 避難所になっている体育館では、ひとりあたり2畳もないスペースで、仕切もなく暮らす様子をかいま見た。
 大切な人を失った人もいるだろうに、ひとりになって泣くこともできないだろう。

 

青空市の前日、
 医療職と福祉職のチームで地域の民生委員さんと一緒に、高齢者や障がい者のいる世帯に戸別訪問で、必要な援助やものを尋ねて歩いた。
 最初は「大丈夫です」としかかえってこない。
 大丈夫なわけはない。
 1階は津波にぶち抜かれて床板もなく、台所もお風呂もない。
 急な階段を登った2階に暮らしている。
 それが高齢者世帯なのだから、なお不自由な生活を強いられる。
 支援物資を取りに行きたくても、地震と津波に破壊された道は危険だらけだ。
 高齢者はあまり出歩かないようにと言われているぐらいなのだ。
 顔なじみの民生委員さんが口添えしてくれて、ようやく重い口を開いてくれる。
 「2、3日前までは家にいた」と訪問したら、症状を悪化させて病院に入っている人、内陸部の介護施設にあずけられた人が、たった20件ばかりの世帯に3件あった。

 

もちろん、
 民生委員をはじめ地域の人々も必死で支えようとしている。
 「昨年12月に引き継いだばかりの新米です」という民生委員さんの家も半壊状態で、事務所の2階が生活の場になっている。
 先代委員はご夫婦とも津波に呑まれて亡くなられたという。
 それでも、必死で支援物資を配って歩いている。
 ほんとうに頭が下がる。
 けれども、互助や共助ではどうにもならない状況がたくさん起きているし、劣悪な生活環境ではこれからも増えていくだろう。
 高齢者がいっきに要介護状態になって当然な条件ばかりなのだから。

 

それなのに、どこをどう押したら、

 「互助共助自助がみごとに動き出している」なんて言い切ることが出来るのだろうか。
 しかも、そこから導きだされているのが、「軽度者はずし」なのだ。
 介護予防推進論者だった氏が、「予防は自己責任」だと言う。
 「被災地の要介護高齢者を支えるためにも、どこに給付を配分するかを考えなければならない。要支援1,2は介護保険から外すべきだと思う」。

 

現状の要支援認定者は、
 決して「軽度」ではない。
 前回の介護保険法改正で利用制限をかけられたという事情があるにしても、ささやかな介護サービス利用でがんばっているのが要支援1、2の人々だ。
 介護保険料も払っている。
 高齢者の生活は、家事が困難になってきたときから崩れていく。
 週に1~2回の訪問ヘルパーの支援で生活を保ち、重度化をとめる方がよほど合理的だ。
 なぜ、「軽度者」への支援や生活援助を目の敵にするのだろうか。
 だいたい身体介護が頻回に必要になるような状態では、独居や老々介護での在宅介護は困難になる。
 生活援助抜きの身体介護と在宅医療で在宅生活が継続できるのは、家族介護力がある人だけだ。
 現場を知るものには常識なのだが。
 というより、ちょっと考えれば理解できる理屈ではないか。

 

今後、大震災の復興にかかる費用は膨大なものになる。
 そうでなくても巨額の赤字を背負った日本には、たいへんな重荷だ。
 さまざまな部門で削減が要求されることになるだろう。
 介護給付費だけが聖域にはならない。
 それぐらいのことは、わたしのようなシロウトでもわかる。

 

だからといって、

 社会保障審議会介護給付費分科会で、最初から縮小を当然として議論するのはおかしい。
 むしろ、この大震災後の状況に即して介護保険制度がどうあるべきか議論を尽くす。その上で、どこを膨らまし、どこを縮小するのか詰めていく。それが筋ではないだろうか。
 先の回でも書いたが、1万人に近い行方不明者がいて、避難民は11万人を超え、福島第一原発の事故は終息が見えない中で、何が何でも帳尻あわせのような改定作業を急ぐことが必要なのだろうか。

 

これまでも『格差社会』が固定化され、
 先の見えない息苦しさが日本全体を覆っていた。
 その上にこの大災害だ。
 被災地とそれ以外の地域との「格差」がさらに広がらない施策が急務だろう。
 過疎化、高齢化が進んだ東北地方が、この大震災後どのように立ち上がるか。
 社会保障制度上でも大きな曲がり角になる抜本的改革が必要になる。

 

残された高齢者が孤立しない、重度化しない施策は、

 介護給付費分科会でこそ、検討し創り上げるべきではないか。
 それは、被災地だけでなく、全国に有効になるに違いない。
 こんな事態を前に、医療分野と介護分野が互いに少ないパイを分捕りあう、いつもの不毛な構図に陥らないで欲しい。
 切実にそう願っている。(おりーぶ・おいる)