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BF115 『認知の母にキッスされ』
中央線沿線の超高齢社会

著者は、東京の高円寺、阿佐ヶ谷と中央線沿線で生まれ育った詩人だ。
詩人の母は23年間、父を介護して看取り、いまは弟夫婦と同居している。
長男である著者は、妻から「大マザコン」と断言されたが、毎日のように実家を訪ね、母の世話をする。
表現者の子どもを持つのは大変だと思ったのは、母の「喚いている」発言の数々が丹念に紹介されるところだ。
排せつの介助をしながらの会話、妄想につきあっての応酬など、よく覚えているなと思うほど。
母は右手右足マヒが進行し、デイケアに通うようになり、日中独居のため、ホームヘルパーも来るようになる。
だが、ある日、肺炎を起こして入院し、回復後、療養病床の4人部屋に移った。
同室には、著者と同じように母を見舞う同世代の単身男性がいた。
正月三が日は帰宅できると言われ、妻や弟夫婦とともに、準備万端整えたが、母は帰宅した途端、パニックを起こし、病院に逆戻りした。
だが、三か月期限が迫っていることを告げられ、弟と相談する。
著者も弟も、母が退院したら在宅介護をするつもりでいたのだが、「もうその気力がない」。
兄弟で6カ所を見学し、不満をぶつけあった末、新設の「民間の介護施設」に決める。
ところが、個室になり、母はひとりでいる時間が長くなり、「私たち家族の負担は、病院のときより大きくなった」。
医師が常駐ではないので、熱を出したりしたときに、連携している医師を呼んでもらうかどうか判断しなければならない。
元の病院のスタッフに「え! あんなところに決めたんですか」と言われて、腹も立ったが、「どういう介護施設を選ぶかは、本当に大事なことなのだ」と思い知った。
出版社との打ち合わせでは、担当者が認知症の母親を残して、がん死したことを知る。
偶然、地元で再会した幼友達は、ひとり暮らしで、若年性認知症になっていた。
母の隣室に入居した女性には、訪れる家族はなく、行方不明になったときには、スタッフと一緒に探しまわった。
施設に通うために駅のホームにいれば、財布から繰り返しお札をばらまいてしまう70代後半の男性がいて、それを気遣うサラリーマン風の男性がいた。
もはや、「いやだ! いやだ!」しか、母の感情を理解できる言葉は残っていない。
母の元に通う日々に著者が出会ったエピソードが、高齢社会の淡い苦みを含んだ関係性を描き出す。
(ねじめ正一著/中央公論社/1600円+税)