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BF117 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』
美学と生物学から考える「障害」

著者はもともと生物学者になりたかったが、大学途中で美学に方針転換したそうだ。
美学と生物学の交差点に「身体」があるという。
とはいえ、「身体一般」の普遍性はあやしいので、「個々の体」まではいかないが、「特徴のある体」を明らかにしようと考えたのが本書。
人間は外界から得る情報の8~9割を、視覚に頼っているなか、著者の関心は「見えない人」に向かった。

見える人にとって、見えないということは、単なる視覚情報の遮断、欠如になってしまう。
このため、見える人が見えない人に対してとる態度は、必要な情報を与え、サポートしてあげるという「福祉的な関係」になる。
だが、見える人は「福祉的な態度」や「情報のための福祉」にこだわるだけでいいのか。
見えない人には、限られた情報のなかで、世界の「意味」をとらえる思考法を持っている。
地形など空間認識は三次元になり、視覚ではなく記憶で補っている。
色彩は、赤ならりんごやトマト、くちびるなど、同じ色をしたものの集合を覚えて、理解する。
見たものにまどわされないため、見えない人には「死角」がなく、「視点」もないという指摘には、ちょっとびっくりした。
ただし、著者は見えない人の違いを認めることと、特別扱いすることは別だと釘をさす。
「すごい!」という驚嘆の背後には、「見えないのにすごい」という蔑みの意図があり、見えない人のイメージを固定化し、特別視することによる神聖化は遠ざけることにつながってしまう。
事故や病気で「何らかの器官」を失うのは、その人の体に、「進化」にも似た根本的な作り直しを要求し、リハビリと進化は似ているという指摘も興味深い。

個人の「能力の欠如」としての障害のイメージは、産業社会の発展とともに生まれてきた。
今後、経験したことのない超高齢社会に突入するのは、身体多様化の時代を迎えることであり、お互いに理解するためには、相手の体のあり方を知ることが不可欠になるという。
障害者は「身近にいる『自分と異なる体を持った存在』」であり、相手を知るためには、見えない人であれば、「視覚を使わない体に変身して生きてみること」という。
見えない人の体の使い方や美術鑑賞の方法など、多様な事例を紹介しながら、独自の視点で「障害とは何か」にアプローチする一冊。
(伊藤亜紗著/光文社新書/760円+税)