[東日本大震災特別編]
第2弾の原稿をアップしようとしていたら、大地震が起きた。
首都圏にあるわが法人も自宅も棚の人形が落ちた程度のことで済んだが、直後から飛び込んできたニュースのすさまじい映像に言葉を失った。
呆然と暮らした一週間のあと、我に返ると被災地の認知症の方々が心配になった。
ちょうど国から県経由で、グループホームでの受け入れ可能人数アンケートが来たので、急遽会議を開き、グループホームと小規模多機能で合計5名までは可能と返事をだし、受け入れた場合の職員体制とバックアップをシミュレーションした。
念のため、県に受け入れはいつになるのか問い合わせたら、「まったくわかりません」という。
高齢者、特に状況把握が困難な認知症被災者の混乱と疲弊はもう極限状態を超えているに違いない。
もちまえのおせっかいが顔を出し、
つてをたどって原発被災地でもある福島県の事業者団体の窓口へ連絡してみた。
責任者になっている方は、ご自身のところで避難してきた方々を60名引き受けているという忙しいなか、状況を丁寧に説明して下さった。
やはり想像以上だ。
放射能汚染で帰るあてもない被災地のグループホームでは、職員が家族と一緒に避難してしまい、グループホームそのものが解体してしまったところが複数ある。
受け入れ先が決まっても、ガソリンと送っていく人手が足りず送りとどけられない…。
ともかく、迎えの車を出す用意があること、グループホームひとつ丸ごと受け入れられる家屋を手配するなど、できる限り努力をすると約束して電話を切った。
「なぜ原発震災といわないのか?」
と問いかけていたのは、日本初の原子力発電所ができた時から反対運動を担ってきた我が畏友。
そのとおりだ。
どんな大地震でも大津波でも、いずれ復興の時はある。
けれども、放射能で汚染された地域は気が遠くなるほど長い長いあいだ『復興』はない。
その現地から受け入れたら、一時ではすまないことも覚悟しなければならないだろう。
わたしたちは、福島の原発で作られた電気で快適な生活を享受してきたのだ。
原発立地の人々だけにこのツケを負わせることは許されない。
しかし、これは一NPOが取り組んで解決できる話ではない。
まず、借家を持つ知人に空き家の確保を依頼し、次の日には地域福祉協議会の世話人会で事情を説明し、協力をお願いした。
みんなが何かできることをしたいと思っているのが励ましとなっている。
さて、続きはどうなることか…。
ちなみに、「みんな何かしたいと思っている」と書いたけれど、わが居住地の自治体は、受け入れはしないと言う方針を出した。
なんでだろう?(おりーぶ・おいる)
