絵本『100万回生きたねこ』で知られる著者は、
本音全開の屈託ないエッセイでも知られる。
著者は「自分の老後のために貯め込んだ金」を出し、
認知症が進行する「母さん」のシズコさんを、
「とんでもなく金がかかるうば捨て山」(有料老人ホーム)に、
「だまくらかして入れた」。
理由は、「母を愛さなかったという負い目のために、
最上級のホームを選ばざるを得なかった」から。
敗戦の年、著者は7歳。母さんは31歳で、5人の子持ち。
中国・大連から引き揚げ船で帰国するときは妊娠中だった。
帰国後、10歳の兄、3歳の弟は相次いでなくなった。
兄の死後、「母の私への虐待がはじまった」。
田舎の親族に頼る暮らしのなかで、
著者は学校から帰ると水汲みやたきぎ拾いなどにこき使われ、
たたきのめされた。
だから、中学生になってから「十八まで私はほとんど口をきかなかった」。
その後、父の期待に応えて美大に進学した著者は、
「正気の母さんを一度も好きじゃなかった」。
42歳で夫を失った母親は母子寮の寮母として働きながら、
下の子どもたちを育てあげたが、「私の反抗期は終わりがなかった」。
だから、胃の手術をした高齢の母親と2年間近く同居したのは、
「愛情ではなく義務であり責任であった」と言い切る。
しかし、ひんぱんにやってくる妹の介入に疲れ、有料老人ホームを探した。
「特養は四人も六人も同室だった。以前行ったことがあった。
それも何年も待つのだった。始めから、それは考えなかった」。
「私は金をかき集めた。貯金をはき出し自分の年金保険もはがし、
すってんてんになった。
毎月かかる経費は三〇万以上だったが、何とかなると私は大胆だった」。
「私は母を金で捨てたとはっきり認識した。愛の代りを金で払ったのだ」。
有料老人ホームに入居した母親は「優しいおばあさん」になってしまった。
「ホームで、母さんは『愛』以外のものは全て満たされている」。
その後、著者は乳がんの手術を受け、寝たきりになった母親の元に通い、
「かわいいかあさん」に会うことが楽しみになっていく。
家族とは非情なものであり、
母娘の葛藤が激しいのは当たり前であることを、
突き放した文章で描き出した一冊。
(佐野洋子著/新潮文庫/420円)
