[東日本大震災特別編]
余震は続くし、
原発事故は終息の見通しがたたない。
東電発表の目途はとても信じられないし。
落ち着かない日々が続いている。
今日(4月20日)の朝刊では、死者の9割が津波による水死、死者全体の6割が60歳以上とあった。
超高齢社会での災害弱者対策が整わない中で、大地震直後の津波という事態の犠牲者だ。
この現実からどんな教訓を読み取り、どんな対策を取るのか。
政府や官僚はもちろんだが(あまりアテにできないし)、それぞれが自分の場所で何ができるか考え、実践していくしかない。
そんな視点からしても、
先週13日に開かれた第72回介護給付費分科会で示されたスケジュールは、ちょっと信じがたいものだった。
審議を「粛々と」進行しようって、どういうことか。
この大災害で教えられた高齢者介護の実態を制度改定に生かすには、時間が足りないと思うのだけれど。
これまでの介護サービスの検証もないまま、準備不足の新サービスを盛り込み、医療系・福祉系入り乱れて、事業者団体が小さなパイを捕り合う。
身も蓋もなく言えば、そんな会議をやってる場合か。
まず介護サービスそれぞれが、こんな災害の時にどうすれば要介護高齢者の命を救えるか、そのためにはどんな体制をつくればよいか、そこから議論を始めてほしい。
阪神・淡路大震災の時、
介助者が生活を支援している在宅障がい者は、早期に救出された例が多かったという。
当時、介助ボランティア・グループだったわたしたちも「そうだよね」とうなずきあった記憶がある。
自分と家族の安全が確かめられたら、次に気に掛かるのは、いつもつきあっている障がい者のことだ。
人と人との関係のあるなしが、生死の分かれ目になる。
断っておくが、このときの介助者は純然たるボランティアばかりではない。
障害者福祉施策などによる有償の介助者が多かった。
今回はどうだったのだろうか。
9日に訪ねた福島では、
4人の認知症高齢者グループホーム関係者に会った。
その中で一番気に掛かるのは、入居者を隣の栃木県にある認知症高齢者グループホームに託して休業届を出した方のことだ。
「再開されるのなら、お手伝いしますよ」と声をかけたが、「ちょっと今は…」と口を濁された。
他の方々が取材者と話を続ける中、ひとり帰られた後ろ姿が忘れられない。
認知症高齢者グループホームは小さいだけに、ギリギリの経営になる。
利用者がひとり減っただけでも厳しい。
1ヶ月の介護報酬が入らないだけでも、経営は傾くだろう。
平時でもそうなのだから、いったん災害に見舞われたら余力はない。
もうこれ以上はがんばれない、やめるしかない、そう決めたのを誰が責められるだろう。
明日のわが身だ。
先日、友人が
1997(平成9)年に出た資料を送ってきてくれた。
題名は『グループホーム推進調査事業報告書 ~阪神・淡路大震災で家を失った高齢者の方たちを中心とした~』(長寿社会文化協会)というものだ。
パラパラめくっていて、認知症高齢者グループホームや高齢者グループリビングなど「小規模な暮らし」のきっかけのひとつは、阪神・淡路大震災の仮設住宅だったことを思い出した。
『被災高齢者が「生きていてほんとうによかった」、「この家でなら安心して死ねる」といえるような仲間同士がお互いに助け合い、支え合って暮らす希望の家の建設に取り組んでみたい』とあるように、復興と同時に高齢社会での新しい暮らしをつくりだそうという試みが報告されている。
その5年後に始まった介護保険では、
認知症グループホームが「小規模で家族的な」という外形は受け継いだ。
それでは、「生きていてほんとうによかった」、「この家でなら安心して死ねる」ものになったか。
残念ながら制度開始から11年が過ぎた今も、そうはなっていない。
認知症高齢者グループホームに限らず、血が通ったケアができる道を付けてこなかった。
介護や福祉がビジネスになり、その割にはまともな経営で収益が得られるような介護報酬はつけてもらえず、だからといって事業者の自由裁量も認められず、自分の事業所を運営維持するのが精いっぱい。
同業種でつながって、よいものを作り出そうなんて余裕を持つことはできなかった。
その結果、大災害にあうと小規模施設が孤立し、誰からも助けてもらえず、撤退していく。
その結果を背負わされるのは、入居者だ。
大震災の恐怖が去らないうちに、見知らぬ場所で、知らない人に介護される。
一緒に暮らしていた仲間もいない。
「地域密着型サービス」の利用者が、親しんできた地域からも、なじんだ人々からも引き離される。
「我が亡き後に地震よ(洪水よ)来たれ」と
本気で願っている小心者だが、いつか必ず首都圏のわたしたちも被災者になる。
そのときに同じことを繰り返したくない。
「グループホーム丸ごと引っ越し作戦」は、まだ動き出さない。
何をどうすれば、用意した場所を使ってもらえるのか。
もしかすると、見当はずれの「作戦」なのか。
だとすれば、何がほんとうに役立つお手伝いなのか。
もう少し時間をかけてしっかり見極めたい。
そんなわけで、今週末、石巻に行くことにした。
福島とはまた違う現実がすこしは見えるだろうから。(おりーぶ・おいる)
