BF170 『おろそかにされた死因究明 検証・特養ホーム「あずみの里」業務上過失致死事件』
長野県の特別養護老人ホームで、利用者におやつのドーナツを提供し、のどに詰まらせて窒息させたとして、施設職員(准看護師)のYさんが業務上過失致死に問われた事件があった。
2020年7月、東京高裁は一審の有罪判決を破棄して、職員に無罪を言い渡した。
新聞報道を読み、おやつのトラブルが罪にならないでよかったと素朴に思った記憶がある。
しかし、本書が問うのは、裁判で大きな争点となった利用者の死因だ。
弁護側は死後に病院で撮影された頭部CT画像などを根拠に脳梗塞による病死と主張し、検察側はドーナツをのどにつまらせたことによる窒息死だと対立していたのだという。
事件当日、食堂に三時のおやつを食べに集まった利用者は17人。
遅番と日勤の介護職員ふたりが担当だったが、日勤職員の排泄ケアが遅れ、ひとりで介助をしていた。
Yさんは、たまたま食堂に入り、おやつ介助を手伝うなかで、異変が起きた。
懸命な救命処置から救急搬送になり、看護師長はかすかな疑問を抱きながらも、ほとんどのスタッフがドーナツを口にした窒息事故と認識していたという。
約1ヶ月後、利用者は亡くなった。
読んでいて「なんでまた?」と思ったのは、入院中の利用者の家族には事故報告の説明する予定だったのに、突然、市役所から報告が出ていないと問いつめるような電話がかかってきたこと。
そして、説明の場には利用者の二女(利用者が入居する前の同居介護者で法定相続人)は来なくて、二女の配偶者と子どもがふたり、ほかのきょうだいという顔ぶれだったこと。
おまけに、家族の通報で、3週間後、利用者が亡くなる前から長野県警が捜査に入ったこと。
結局、家族とは見守り対応が不十分だっため窒息させたとして損害賠償金を支払うことで示談が成立した。
だが、Yさんは、他の利用者への介助に気をとられ、亡くなった利用者の動静を注視しないまま放置したことを過失として起訴された。
弁護側は、施設の看護職員は「本来的業務(看護業務)を行い、余裕があれば介護の業務を補助者として手伝う」という位置づけで「注意義務がなかった」とした。
また、厚生労働省の人員配置基準を十分満たしていてもなお、全面的な介助が必要な人も含めて17人の利用者に最大2~3人の職員が食事介助に当たらざるを得ない介護現場の実情とともに、「介護現場に委縮が生じる」という深刻な影響を主張した。
そして、嚥下障害に詳しい医師から窒息が起こるメカニズムを説明され、死因が窒息による心肺停止状態ではないことを立証していった。
2019年の一審判決(罰金20万円の有罪判決)に至る経緯から、二審の逆転無罪判決までの克明なレポートは、介護施設で事故が起こり、刑事裁判になった場合の過酷な状況をつぶさに教えてくれる。
施設はYさんを支援し、公判中も勤務の継続を保障した。
一審判決後、介護現場への悪影響を心配する支援活動も広がった。
弁護団の詳細な調査や証人に立った専門家の見解にも学ぶところがある。
著者が怒りをこめて主題とするのは、警察の捜査における医学的検証の不備であり、検察の予断に基づく判断だ。
専門医によると、人口が全世界の2%の日本なのに、全世界の「食物による窒息死」の33%を占めているそうだ。
大きな理由は「食物誤嚥による窒息」に診断基準がなく、ほとんどの医師にとって窒息は専門外なのに、診断は「現場の医師の主観」に任されているからだという。
後期高齢者が飛躍的に増えていくのに、無用なトラブルが増えるのではないかと素人ながら心配だ。
とはいえ、舞台となった特別養護老人ホームは、介護保険制度における唯一の「生活施設」。
東京高裁の判決には「間食を含めて食事は、人の健康や身体活動を維持するためだけでなく精神的な満足感や安らぎを得るために有用かつ重要であることから、その人の身体的リスク等に応じて幅広く様々な食物を摂取することは人にとって有用かつ必要である」とあったそうだ。
2025年現在、介護職員の「賃上げ」のキャッチフレーズのもと、「生産性の向上」と「人員基準の緩和」がセットになった審議が続いている。
ゆとりを持ったおやつ介助もできない人員配置基準、職場環境でいいのか、と思う。
(出河雅彦著/同時代社/1800円+税)
